数々の思い出を残してくれた我が家の飼い猫「パン」は5年ほど前に逝ってしまった。
その中でも一番に思い出されるのは、くだんのかりんとう事件だ。
そのとき、夫に大声で階下から呼ばれて下りてみた光景は異様だった。
テレビの前のカーペットの上には大の字に置かれたジーンズ。その上になにやらへんてこりんな物!やっとの思いで汚れないように夫が脱いだものらしい。
テレビの上のパンはあらぬ方をみており、夫がパンを睨みつけ「こいつがとんでもないことをした」と怒鳴りちらしていた。
よくよく聞いてみれば、パンと夫の兄弟喧嘩(?)プロレスごっこのなれの果てである。切れたパンが奥の手を使ったのだ。首を絞められそうになったからには、奴の一番嫌いな物を見舞わずにはいられない。
確かにパンは親愛の情の表現でよく床にごろりんと転がった。仕事から帰ったとき、暗い部屋でじっと伏せて待っていたらしいシルエットが電気をつけるとごろりん。あー、家に戻ったなと感じたものだ。と言って、ごろりんしてリラックスしているのを押さえつけられてはたまらない。断固それは許さないのだ。
事情がわかった後は涙が出るほどおかしくてしばらく笑い転げてしまった。本当にようやった!
たいした猫だ!それでこそ孤高の女王!
パンもそれがとんでもないことは先刻ご承知だ。なぜなら、よくパンを長時間のドライブに突き合わせたことがあったが、体調不良のとき、我慢が出来ずに私の膝の上から、世にもつらそうな鳴き声をたて、足元に飛び降りてそこで排泄をした。小さくなって御免なさい、と言っているようだった。そういう猫である。よくわかっているのだ。
目に目を、歯には歯を。
あくまでもかりんとうは復讐の手段だ。
硝子戸をはさんでは、やたら強そうに外の猫を威嚇する内弁慶だったが、そんなこんな思い出も本当に懐かしいものになってしまった。
ところで、死んだあとは三途の川まで近しい先に死んだものがお迎えに来るというが、パンや先に飼っていた犬の「ポン」が私のためにやってくると信じている私は少しヤバいでしょうか。
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